以下に、約40年前の記事が紹介されています。この内容からも昔の海外の記事は今よりも案外正直に事実を伝えていたような気がします。この記事からも戦後、KGBは北米に深く入り込んでいたことがわかりいます。しかもKGBは米国で本格的なスパイ活動を行う前にカナダのモントリオールでスパイ活動やスパイ活動の訓練をしていたそうです。米国よりもカナダの方がスパイ活動はやりやすいのでしょう。日本も同じです。カナダのように広大な国土ではありませんが、どこにでも潜伏しやすいのが日本です。日本は世界中(特に欧米、イスラエル、ロシア、中国)のスパイの巣窟です。これらのスパイたちが日本政府やメディアの関係者を操作しているのかもしれません。
ソ連がロシアに改名した後もモントリオールで同様のスパイ活動を行ってきたと思われます。モントリオールにはロシア人(元スパイの家族も)が非常に多く住んでいるのではないでしょうか。欧米のネット上で拡散されているロシアの偽情報は既に北米内に潜伏しているロシアのスパイ組織によるものなのでしょうか。

2019年12月にカナダのロシア人スパイの息子に関するニュースが報じられていました。
ロシア人スパイの息子に市民権認める カナダ最高裁 - BBCニュース

ロシア人スパイの息子に市民権認める カナダ最高裁

20191220

「カナダの最高裁判所は19日、ロシア人スパイの息子でトロント生まれの男性について、カナダの市民権の資格があるとの判断を下した。

カナダ市民権が認められたのは、トロント生まれのアレクサンダー・ヴァヴィロフ氏。両親が名前や身分を偽りカナダに「潜入」したロシアのスパイだと判明したことから、市民権を剥奪されていた。

今回の判決を受け、アレクサンダー氏は市民権を取り戻し、カナダへ帰国することができる。

両親がロシアのスパイと知らず

アレクサンダー氏は199463日、母トレイシー・リー・アン・フォーリー氏と父ドナルド・ハワード・ヒースフィールド氏の次男として誕生した。兄ティモシー氏も1990年にトロントで生まれた。」


<モントリオール発 KGBスパイネットワーク>
KGB North American spy network staged from Montreal | Fitzpatrick Informer
(概要)
5月9日付け

モントリオールから構築されたKGBの北米スパイ・ネットワークとは・・・


↑ モントリオールにて、右:ソ連のアレクセイ・コスイギン首相、左:Manchester Lineの海運担当者、中央:通訳

1987年4月27日のUnited Press Internationalの記事:
By Warren Perley
ソ連はカナダにおける作戦にかなり敏感であり、 今年の冬の寒い日に彼らはモントリオールの消防士らに立ち入らせずに領事館に放火しました。

その結果、3階建ての領事館が全焼し、ここでは単に観光ビザの手配をするだけでなく、他のことも行っていたことが露呈しました。

1月14日に漏電による小さな火災が発生したとのことですが、領事館職員らは領事館から書類を運びだすまでの15分間、消防士らが建物内に立ち入るのを禁止しました。消防士らがやっと立ち入ることを許されたとき、彼らは3階の窓ガラスを壊してホースを中に入れようとしたのですが、その窓は内側からレンガで塞がれていました。

消防士らは建物の中に入ることが許されても、特定の部屋に入るのを拒否されました。

その後、ソ連の大使館職員のイゴール・ロバノフ氏は、スパイ活動に関する質問に対して、「それについては何も言わない。」ときっぱり答えました。

では、レンガで塞がれた窓は何のためだったのかとの質問については、

 

「部屋の改築だ。」と答えました。

「建物よりも重要な書類はどこに?」との質問に、ロバノフ氏は肩をすくめ、「ご存知のように、モスクワの西側諸国の大使館ではプレイボーイ誌のコピーをファイルの中に隠しておくようなことはしませんよね。」と誤魔化しました。
KGBの活動は西側諸国の暗黙の了解であり、彼らはKGBがモントリオールで非常に活発に活動していたことを何年も前から知っていたのです。
カナダの治安当局筋は、この領事館の3階には、ワシントン~ニューヨーク~ボストン・エリアのスパイらと連絡を取り続けるマイクロ波通信センターが設けられていると語りました。
彼らは、木製の小屋の中に設置された秘密の屋上パラボラアンテナを介して、モントリオールの米国領事館、イギリス領事館、米国の防衛請負業者間の通話をモニターしていました。
3階の窓を塞いでいたレンガは、おそらくカナダのスパイがレーザーマイクでソ連側の通話を録音するのをブロックするためだとカナダの防諜専門家が語りました。
カナダ安全情報局(カナダ版FBI)のスポークスマンのジャン・ルイ・ガニョン氏は、モントリオールが外国のスパイ活動にとって「重要なエリア」であることを認めています。
モントリオール・エリアの企業は、NATOと米国防総省の兵器システムの研究と製造を行っています。1986会計年度にペンタゴンが署名した防衛契約の1459億ドルのうち、6億4460万ドルがカナダ企業に支払われました。
「それらは必然的にロシアにとって関心のある機密資料です。モントリオールはカナダのスパイ防止活動にとって重要なエリアです。」とガニョン氏が語りました。
西側諸国の治安当局は、カナダ、特にモントリオールはKGBのスパイであふれていると述べています。「ソ連は、米国よりもカナダの方が(活動をする上で)安全だと感じています。カナダは、多くのKGBスパイが米国でさらに洗練されたスパイ活動や破壊活動を行うための訓練場所です。」と、西側の諜報機関の契約オペレーターが述べました。
このオペレーター(匿名)は、過去20年間、CIAに雇われ世界中で数多くの仕事をしてきました。
彼は、「モントリオールはスパイ活動、破壊活動(政権転覆活動)、テロリストの訓練、敵国スパイの通信を含む、KGBの秘密活動の重要拠点です。」と説明しました。

1985年11月6日 – ワシントンD.C.:

ソ連のKGB職員のヴィタリー・ユルチェンコ氏は、ロシアに帰国するためにダレス空港からアエロフロート機に搭乗しました。ユルチェンコ氏は、1985年11月3日にワシントンのソ連大使館に到着した時にKGBの亡命者と言われてきた3カ月間を終えました。

KGBの主な標的は常に米国であると彼は述べました。

「彼ら(KGB)はモントリオールを気に入っています。なぜなら、ここから米国を拠点に活動しているスパイと連絡がとれるからです。偽のIDで、I-87州間高速道路87号線)を通って国境を越えるのは非常に簡単です。」と。

1985年8月1日にソ連から亡命し、3カ月後にソ連に戻った元KGB職員のヴィタリー・ユルチェンコ氏は、1985年4月~7月の間、北米でのKGB作戦を率いていたと言われています。

CIAは、1985年11月8日に声明を出し、ユルチェンコ氏はモントリオールとオタワのKGBスタッフを監督し、米国の諜報機関から二重スパイをリクルートする責任を負っていたと伝えました。

CIAは、上院情報委員会で、ユルチェンコ氏は本当に亡命したが、その後、考え直したと述べました。そしてその主な理由は、彼の愛人(不倫相手:カナダのソ連外交官の妻)が彼と共に亡命するのを拒否したからだと。


↑ ゲルダ・マンシンガー氏(カナダのモントリオールで活動するソ連のスパイ)。
1966年のマンシンガー事件は、カナダ初の政界セックス・スキャンダルでした。
この事件には、ドイツ人で1956年(1952年に発行された警告カードを持っていたが)にカナダに移住し、売春行為、泥棒、密輸で有罪判決を受けたゲルダ・マンシンガーが関与していました。
彼女は1960年に元国防副大臣のピエール・セヴィニー氏の愛人になりました。
マンシンガー氏は、ロシアの諜報機関のスパイであることを認めました。

カナダと米国が関与した最近のもう一つのスパイ事件は、ラリー・ウータイ・チン氏(CIA職員だったが、1986年2月7日に中国側のスパイ容疑で有罪判決を受けた。)の事件でした。

FBIによると、チン氏(63才)は、1976年~1982年の間に秘密文書を届けるためにトロントに4回行ったと伝えました。彼は刑を宣告される前に自殺しました。

1977年に、KGBがKGBのルディ・ヘルマン大佐の息子をリクルートしようとした後、ヘルマン大佐は米国に亡命し、米国の二重スパイになりました。これも米国とカナダが関与した有名な事件でした。

チェコ生まれのヘルマン大佐は、第二次世界大戦後にモスクワで訓練を受け、西ドイツに派遣されました。彼は1950年代にカナダに移住し、1968年まで調査ジャーナリストのための映画技術者として働きました。

映画技術者としての職業柄、米国、フランス、ドイツ、そしてカナダ全土に頻繁に行き来しても彼がスパイであることは誰にもバレませんでした。彼はホワイトハウスの警備に関するドキュメンタリーの音響技術者としての仕事もしていました。

ヘルマン大佐は、1968年に米国に異動する前、カナダのKGBのトップに昇進し、米国でKGBとして活動し続けました。

彼は、1977年に亡命した時、「ケベック・シティーのラヴァル大学のヒュー・ハンブルトン経済学教授はKGBのスパイであり、1950年代中頃、パリのNATO同盟のために働いていたとき、NATOの秘密情報をリークするなど、長年にわたりスパイ活動を行っていた。」と非難しました。

いつものよくできたスパイ物語のように、ヘルマン大佐は1979年11月に突然姿を消しました。

諜報筋によると、彼と彼の妻と子供たちは、FBIから新しいIDを与えられ、現在はバージニア州アーリントンに住んでいるとのことです。

カナダ 5月28日:モントリオールは、豊かなロシア文化の中心地です。モントリオールのトルドー家とソ連のコスイギン首相は、豪華なボリショイ・バレエの「白鳥の湖」を鑑賞しています。