以下の記事によると、トルコがISISを支援する理由は。。。隠れユダヤ人がトルコを乗っ取り支配しているからです。隠れユダヤ人の目標は中東全域に大イスラエルを築くことであり、イスラエルから世界を支配(NWO)したいようです。

以下の記事で分かったことは、スペインからイスラム国家のオスマン帝国に難民として渡ったセファルディ・ユダヤ人集団は、イスラム教徒に改宗しましたが、彼らが信じていた悪魔崇拝のカバラを捨てずにイスラム教とカバラをミックスしてしまい、イスラム教徒でありながら、カバラを実践し続けているということです。神秘的なイスラム教を世俗的な宗教に変えたのも彼らのようです。彼らが実践するイスラム教はカバラだったのです。
そして隠れユダヤ人らがISISなどのテロリストとして世界中からリクルートしているイスラム教徒の多くが。。。カバラがミックスされた新イスラム教に洗脳された人々(同じく隠れユダヤ人)なのかもしれません。
ひょっとしたら、現在のイスラム教徒の多くがカバラがミックスされたイスラム教を信じているではないのでしょうか??

このようなことから、トルコは隠れユダヤ人帝国であり、ISISの最大の支援国家だということが分かります。

ロシアも信用ならない国ですが、ロシア爆撃機がトルコに撃墜された事件は、どうもロシアの言い分が正しいような気がします。
しかし日本ではネット上の書き込みを見ていると、反ロシア、親トルコのコメントが多く、隠れユダヤ人の国のトルコの言い分を信じています。完全に日本のネット民は騙されています。もちろん、私は親露でもなんでもありません。世界の大国は、みな、イルミナティの指揮下で戦争を勃発させようとしています。どの国も信用できません。だからと言って、歴史的にもロシアが信用できないからと、何でもかんでも親日国と言われているトルコ(これも本当かどうかはわかりません。なぜならトルコが支援するISISは日本も攻撃すると言っています。)の言い分を信じるのはどうかと思います。

しかも。。。今、トルコとロシアの戦争が勃発しそうです。

http://www.henrymakow.com/

(概要)

11月29日付け



近代トルコは、オスマン(トルコ)帝国の隠れユダヤ人集団が支配する隠れシオニスト国家なのです。

By Kemal.jpeg

サイト内の最初の写真:左がオスマン帝国の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルク=1881 - 1938年。ドンメーと呼ばれる隠れユダヤ人集団に囲まれて、彼らと共にフリーメーソンのサインを送っています。)



トルコがISISを支援する理由は明らかです。

2011年にウェイン・マドセン氏は、「トルコは隠れユダヤ人が統治している国であり、大イスラエルの建国というシオニストのゴールを達成するために存在する国だ。」と伝えていました。
これは、ソ連のレーニンが率いた左派のボルシェビキ党とシオニストの関係と同じです。

ドンメーと呼ばれるトルコの隠れユダヤ人集団もイルミナティであり、フリーメーソンであり、悪魔を崇拝しています。

イルミナティはトルコをテロ国家に仕立て上げ、彼らの支配下におきました。


ウェイン・マドセン氏によると:

歴史家や宗教家なら既に知っていることなのですが。。。何世紀も前からトルコの政治・経済を支配してきた隠れユダヤ人集団(ドンメー)とは、16世紀から17世紀に行われたスペインの異端審問でスペインから追放されたセファルディ・ユダヤ人の子孫です。彼らは難民としてトルコ、アラブ諸国、現イスラエルに渡りました。

これらのユダヤ人難民はオスマン帝国に受け入れられそこで定住しました。彼らはイスラム教という神秘的な宗派に改宗し、その後、ユダヤ教のカバラとイスラム教の神秘主義を結合させました。しかし、トルコ帝国後の近代トルコではイスラム教は神秘主義から世俗主義に変質していきました。

トルコの隠れユダヤ人集団はイスラム教に改宗したことでユダヤ人として信用できないと言われたため、彼らは自分達がユダヤ人であることを隠すことにしたのです。



イスラム教に改宗したがユダヤ主義者から成るドンメー宗派が、ラビであったサバタイ・ゼヴィ(自分がメシアだと信じるカバラ主義者だが、オスマン帝国の権力者によってイスラム教に改宗させられた人物)によって創設されました。

ラビ(ザバタイ)の信奉者達の多く(サバティアンと呼ばれる)が、表向きにはイスラム教徒だが、実際は、ラビが承認していないユダヤ主義とイスラム教を結合した宗教を実践している隠れユダヤ人集団でした。

ドンメー宗派は他の宗派の人と結婚することを許さなかったため、社会的につながりを持つ一族を創りました。



エルドアン大統領は隠れユダヤ人の可能性があります。

サロニカでは、従来のユダヤ人も隠れユダヤ人も、彼らの多くが政界や経済界でリーダーシップを獲得しました。青年トルコ人を結成させたのもドンメーの中心的メンバーでした。

(青年トルコ人とは、19世紀末から20世紀初頭のオスマン帝国において、アブデュルハミト2世の専制政治を打倒し、オスマン帝国憲法(ミドハト憲法)に基づく憲政の復活を目指して運動した活動家たち。)

さらに、ドンメーはオスマン帝国を滅亡させた後に、トルコからイスラムのアイデンティティを取り去るキャンペーン始めました。

1901年にコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を訪れたアブデュルハミト2世(オスマン帝国第34代皇帝)がシオニストと会談することを拒否し、シオニストやドンメーの要請(お金と引き換えにシオニストやドンメーにパレスチナを分割しイスラエルを建国しエルサレムを支配させること)に対し、イスラム国家であるパレスチナを分割するくらいなら自分の体を刀でつくと彼らの要請を断ったため、青年トルコ人はアブデュルハミト2世を暴君であるとして皇帝の座から追放しました。

そして、1908年にアブデュルハミト2世は青年トルコ人のドンメーによってサロニカにあるドンメーの拠り所に投獄されました。


初代バルフォア伯爵(英首相)がバロン・ロスチャイルド宛てにパレスチナをシオニストに譲渡すると約束した書簡を送り、その後、イブン・サウード(のちのサウジアラビア国王)がパレスチナをユダヤ人の故国であることを認めた3年後の1918年に、アブデュルハミト2世はコンスタンチノープルで死去しました。



トルコ共和国を建国し初代大統領となったムスタファ・ケマル・アタテュルクはサロニカの青年トルコ人のリーダーの1人でした。



ある資料によれば、ドンメーのメンバーは15万人ほどおり、主に、軍隊、政府、ビジネス界を支配していると言われています。また、ドンメーはトルコの全実権を握る非常にパワフルな組織であり150万人の支持者がいるとも言われています。



アタテュルク大統領と青年トルコ人の支持がなければ、パレスチナを分割しイスラエルを建国することはできなかったでしょう。また第一次大戦後~ナチスドイツ時代には、トルコとイスラエルを建国しようとする人たちの蜜月関係が続きました。



イスラエルはトルコが1915年にアルメニア人を大量虐殺したことを否定し続けてきました。

なぜなら、イスラエルは軍事的、外交的に蜜月関係にあるトルコを怒らせたくなかったからです。



しかしアルメニア人の大量虐殺はトルコ人によるというよりは、青年トルコ人のリーダー(ドンメー)が行ったことなのです。



オスマン帝国軍の諜報将校だったアフメット・レフィックなどの歴史家は、青年トルコ人がキリスト教徒のアルメニア人を絶滅させようと大量虐殺を行ったと断言しました。
さらに、アタテュルク大統領の指揮下で青年トルコ人はギリシャ系キリスト教徒らをトルコの都市から追放し、キリスト教徒のアッシリア人を虐殺しました。



青年トルコ人のドンメーのリーダーらは、何十万人ものアルメニア人やアッシリア人を虐殺しただけでなく、トルコに存在していた伝統的なイスラム教の慣行や考え方を破壊しました。

アルメニア人は、同じ島に住むギリシャ人とトルコ系キプロス人に対する憎しみよりも領土争いをしているギリシャ人とトルコ人そして彼らを虐殺したトルコ人に対する憎しみの方が強いのです。

しかしドンメーから攻撃を受けた人々はみな同じようにドンメーが彼らの本当の敵であることを認識することになるでしょう。